- ひとつの未来の結末 -


強力な案内役が付いているおかげで、道に迷う心配は最初から皆無だった。
木枯らし吹きすさぶ十一月、本来ならば出澄を伴う立場にある隆広は、それが自明の理であるような雰囲気の中で出澄に先導されていた。
「なぁ出澄」
「なんですか、タカヒロ」
「本当にこっちでいいのか?」
「はい。居住地の変更は通知されていません。従って、昨年と同じ住所に在住していると思われます」
言い分があまりに正しすぎると逆に不安になってくる事もあるのが人間なのだと解説するべきか悩んだが、相手が相手だ。パラドックスやらジレンマやらについて語ってみた所で、その反応など簡単に想像が出来る。出澄の十八番“理解不能の一点張り”を思い出し、隆広は試みるまでも無く諦めた。
隆広と出澄の関係は、書面の上では主と従となっている。いくら出澄が人工知能を持ち、故にある程度の権利が認められてはいるものの、高次知性回路搭載型ヒト女性形自律稼動式電子機器――一般的に搭載型と略され、一昔前にはアンドロイドとの俗称も持っていた機械――なのだから当然の事だ。もっとも青砥家においては家族という位置につき、今ではすっかり隆広の姉役が板についているのだが。
今日二人が出歩いているのも、出澄が搭載型である事を間接的な理由としている。明後日は出澄が青砥家で初起動してから一年という節目になる。一定以上高度な知性回路を組まれた電子機器は、一年に一度、製作者によるメンテナンスを受ける義務があるのだ(正確にはその所有者にメンテナンスを受けさせる義務があるのだが、隆広にとってはどうでもいい話だった)。
電子機器と一口に言っても、骨格と外観、知性回路や禁則項目の設計及び製作は別の人間によって行われる事が少なくない。出澄の場合、外観設計者は隆広の父の隆義で、前者二つのメンテナンスは先週の今日に終了している。従って、今向かっているのは内観設計者の工房という事になる。
なるのだが。
「なぁ出澄」
「なんですか、タカヒロ」
「本当に、本当にこっちでいいんだよな? 別にウケを狙ってるわけじゃないんだよな?」
「発言の意図が理解不能です。ワタシは二十三秒前にこちらの道で正しい旨を伝えました」
「それは分かってんだよ。そうじゃなくてさ……」
昨晩の深夜まで学校の課題に取り組んでいたせいで凝った首をほぐしつつ、隆広は現在歩いている道を見回した。
色付き切っていないイチョウの葉が石材で補強された小道に落ち、泥に汚れて張り付いている。清掃用の機械も配備されていないし、静かな住宅街のど真ん中に位置する公園から響く甲高い大声は、じゃれ合う子供達の喜びに満ちている。
その長閑な光景に、呆れるような困惑するような微妙な表情を浮かべ、歩を進めながらも隆広は疑問に思わざるを得なかった。
「なんでわざわざこんな田舎に電子機器の工房があるんだ? もっと上の方に専用のベルト地帯があるんだろ? 材料も技術もそっちにいる方が便利だし、父さんだって行ってんだぜ?」
「その表現には不適切な点が二つあります。上ではなく北である点と、電子機器専用ベルト地帯ではなく、電子機器の作成並びに保存に適した気候や採掘資源が多いためにそれらの生産が産業の主流となった一地域だという点です。ベルト地帯という呼称はもっと広範囲の……」
「ああもう分かってるようるさいな。なにか理由でもあるのかなって話だよ」
知ってどうするのかだの、最悪の場合は知りませんなどの一刀両断する返答を予想しながらも続ける。ただの時間潰しの発言なのだから、仮に無視されたところで構わない――そんな事まで思っていた隆広に、しかし出澄はあっさりと返答を寄越した。
「あります。しかし、第三者への個人情報の提示はプライバシー保護の目的によって禁止されていますので返答は不可能です」
「……それってどんな類?」
「どんな類、とはどういう意味ですか?」
「えーっと、例えば……静かに暮らしたい、とか」
投げられた疑問になんとかそれらしい例を出すと、出澄は一秒ほどの思考を経て答えた。
「健康上の理由です。到着しました」
なにが、と言いかけて隆広は口を噤んだ。件の電子機器内観設計士の工房は、いつの間にか目の前にその看板を掲げていた。

***

梶原電子機器設計工房と書かれた小さな看板が秋風に吹かれて気だるそうに揺れている以外は、電子機器の工房だと推測するどころか時代から取り残されたかのような家屋だった。今時手動式ドアというだけで歴史資料館行きになっても可笑しくは無いというのに、そこに木造建築の四文字が加われば、もう酔狂と呼んでもなんの差し支えもない。工房はおそらく地下にでもあるのだろうが、あまりにも名と実のギャップは激しかった。
「こんなレトロな……っておい出澄っ」
隆広の呆れた呟きを無視して、出澄は自然な流れでドアノブに手をかけた。軽く手首を捻って外向きに開くと、木製の乾いた看板がからからと軽い音を立てた。完全に主導権を握られている事に憮然としつつ、出澄に続いて工房に足を踏み入れる隆広。鼻腔に広がるどこか懐かしい香りに安堵を覚えた、その瞬間が命取りだった。
「いらっしゃいませぇ!」
「うおお!?」
家の奥から突然飛び出してきた小さな影に文字通り足を取られ、お世辞にも屈強とは言い難い隆広の体は簡単に前向きに傾いた。それをあっさりと受け止めた出澄が人影を見下ろす。
「トモキ、私は三百六十三日前に、予告なく無差別に体当たりをけしかけるのはやめるべきとの旨を伝えました」
なんとか体勢を立て直して目線を下に向けると、そこには五歳程度の少女がいた。冷たい無表情を臆する事なく出澄に笑顔を向けている辺り、なかなか肝の据わった子供であるようだ。
「出澄だ出澄ー、知喜ね、ちゃんと覚えてたんだよ、偉い?」
「目的語がありません。何を覚えていたのかが不明です」
「出澄のお誕生日だよ、カレンダーにバツつけてて忘れないの! 今日なんだよ!」
「その表現は適切ではありません。試運転と初起動は同一ではありません。本日はワタシが試運転されてから一年が経過した日です。記録では、あなたがたが誕生日と呼ぶものは二日後となっています。加えて文法にも誤りがあります。あなたの発言には必要な情報が不足しており、発言の意図が理解不能です」
「……人を無視して進めんなコラ」
目の前で弾む中身のない会話に疎外感を感じながら、ここは工房と託児所を同時運営する不思議ステーションなのかと隆広が思案し始めてまもなく、知喜という名を持つらしい幼女の射出口こと家の奥へ続く扉から、錆びた蝶番の斉唱と共に一人の少女が小走りでやってきた。
「トモキちゃん、お客様に御迷惑をおかけしちゃだめっていつも……あら」
「明砂明砂、出澄出澄! 出澄が来たのー!」
隆広から離れてはしゃぎながら駆け寄る知喜を苦笑と共に受け止めて、明砂と呼ばれた少女は顔を上げた。その拍子に、天井の蛍光灯――これもまたローテクノロジー愛好家には垂涎ものの一品だ――の光を浴びて、少女の双眸に格子状の細い線が浮き上がった。相手を人間だとばかり思い込んでいた隆広は、軽い驚きを伴ってそれが示す事実を受け入れた――電子機器だ。
「お久しぶりです、イズミさん。そちらはイズミさんのマスターの方ですか?」
「はい。ワタシのマスターのアオト・タカヒロです。タカヒロ」
出澄は工房に到着してから初めて隆広に向き直り、相手の顔に文章が書いてあるかのように滔々と告げた。
「こちらはカジワラ設計士の娘のカジワラ・トモキです。そしてこちらが高次知性回路搭載型ヒト女性形自律稼動式電子機器のアキサです。トモキはアキサのマスターで……」
そこまで出澄が言いかけたとき、思わぬところから予期せぬブーイングが湧き上がった。具体的に言うと、明砂の足元で不服そうに口を尖らせた知喜から。
「ますたーじゃないのよ、明砂は知喜のお姉ちゃんなんだから。こせきにもとーろくしたよってお父さんも言ってたもんっ」
「……失言でした。申し訳ありません」
小さく頭を下げる出澄を前に、隆広は意外に思う気持ちでその言葉を聴いていた。出澄は機械で、人間と生活していく中ではどうしても多少の齟齬が生まれてくる。その時はいつも出澄が折れて謝罪をするので、隆広は何度もそのフレーズを耳にしているのだが、こんな風に眉尻を下げる出澄の姿は珍しい。もっとも、それも見る者が見なければ分からないような、ほんの微細な変化でしかなかったが。
「タカヒロさんですね。いらっしゃいませ、そして初めまして」
「あ、はい。初めまして」
自分につられて丁寧な語調になった隆広をどう思ったのか、明砂は微笑んで首を傾けた。人工物らしからぬ、まさに自然な笑みだった。
「楽にして下さって結構ですよ。ワタシのこの喋り方はデフォルトの設定なので。それで、イズミさんのメンテナンスについてですが」
来た、と隆広は無意識に身構えた。どうせまた出澄のように堅苦しい言葉を並べ立てるに違いないと、半ば偏見を持って搭載型に向き直る。対する明砂は柔和な笑みのままでメンテナンスの説明に入り、それを受けた出澄が、ずっと手に持っていた黒い無愛想なファイルから、メンテナンスに必要な書類の一式を取り出して明砂に渡した。
「こちら側の準備は既に整っています。高次知性回路の場合はメンテナンスに約一時間を要し、その間はイズミさんとの面会が不可能となりますが、現在からイズミさんのメンテナンスを開始されますか?」
「あ、はい。宜しくお願いします。じゃぁ出澄、またあとで」
「分かりました。タカヒロはそれまで……」
「じゃぁ知喜がつれてってあげるね出澄、こっちだよーこっちこっちー!」
首肯した出澄の言葉が皆まで流れ出る事はなく、生後一年の機械の冷たい手を握り、元気が取り柄と言わんばかりの勢いで、知喜は自分が出てきたばかりの扉の奥へと出澄を引っ張っていった。
文句や静止を求める単語の幾つかが聞こえた気もしたが、普段は徹頭徹尾に唯我独尊、もとい周囲の環境に左右されない姉の困惑する姿に、隆広はすっかり呆気に取られて立ち尽くした。
「タカヒロさん」
ひたすらに自分の記憶を疑っている隆広に、高次知性回路搭載型ヒト女性形自律式電子機器は、おっとりと微笑んで提案した。
「もし宜しければ、イズミさんのメンテナンスが終わるまで、上でお茶でもいかがですか?」

NEXT