私、将来はあの子と結婚したいな。 私はあの子の方が好き。足も速いし、かっこいいもの。 そんなような会話を、私と妹もしたことがある。 その子のお嫁さんになれるのだったら、家事でもなんでも頑張るし、不器用だって克服して見せるとか、 調子のいい幻想を、ひとしきり語り合っていたものだ。 結婚したい相手は話をするたびに変わったし、同じ村の同世代の男の子の話だから、姉妹で同じ男の子を 指名することもあって、その時にはじゃんけんで譲ったり話し合いで妥協したりすることもままあった。 それはつまり。 少なくともその程度には、恋愛や結婚に夢を持っていたということだ。 私も。 妹も。 顔を見たこともない相手など、結婚相手の候補には絶対に上がらなかった。 私達は、そんな姉妹だった。 妹は、そんな子だった。 領主の連れ添いになってくれはしまいかという、懇願にも似た命令。 二つ返事で妹はそれに、頷いた。 彼らを帰した言葉は、支度ができるまで七日の時を頂けませんか、だった。 村を歩く度に耳に入るのは、妹を気遣う声だった。 領主の命じゃ仕方がないが、気の毒なことだ。 どうせ、未夜ちゃんが神子だからとか、そんな下らん理由なんだろうに。 未夜ちゃんの幸せはどうなるんだか。 今までも散々煩わしい思いをしてきたのに、その上に家から引き離すなんて、惨いことを。 あんなに仲の良い家族を、どうして誰も彼もそっとしておいてやらないのか。 けれど。 けれど――逆らえば、この村が、どうなるか。 「……」 村の皆を責める気にはなれない。 妹を売って安息を買ったとも、思わない。 大切なものなら、人それぞれだ。私の妹よりも大切なものが、誰にだってあるのだろう。 盲目という引け目があるからか親馬鹿が過ぎているあの父でさえ(どう見ても行き詰っている以外の 何物でもない綾取り紐を、芸術だと呼ばわって姉妹二人を褒め殺したくらい、隣に置いた状態で人前に出るが 恥ずかしいくらい、親馬鹿だ)、未練がましい科白を口にしたのは、断れはしないだろうなと、諦め切った その一言を一度だけ、だったのだ。 だから、そんなことをとやかく言うつもりは、全くと言っていいほど、無い。 だから、私だって受け入れていた。妹が自分で選んだたったひとつの選択肢を、肯定した。 だから――私が気に病んでいるのは、そんなことではまるで、ない。 ……語弊があったかもしれないから、正しておきたい。 妹や、私や父に同情的な声を上げるのは、父と同じかそれより年嵩の村人達であって、村の全てが そんなことを思っているわけではない。 私達と同じ年頃の、つまり、若者達は、そうではなかった。 ――姉より妹の方が…… ……勿論。 これは、この縁談が発覚したから唐突に湧いて出た話題ではなく、常日頃から囁かれていたことが、もっと 露骨に流れるようになったというだけだ。 大した問題ではなかった。 けれどそれが、私の心に何の影響も及ぼさなかったといえば、それは真っ赤な嘘だ。赤黒い嘘、かもしれない。 姉より。 妹の方が。 「……」 それより先は、記憶していない。 意図して、忘れた。 それが既に影響なのかもしれない。 姉より妹の方が。 それを逆に言えば、どうなのかも。 考えたくないと思った。 けれど、簡単に傷が塞がるものなら、怪我しないように気をつけて遊べなんて、親は子どもに言わないだろう。 そして、怪我よりも病の方がもっとずっと危ない。 私の病は。 村人の言葉で作られた傷から、入り込んできた病の名前は―― 「気になんて……」 しなければいいのに。 ひとり、ごちた。 と、 「……姉さん」 背後から、怖々と。 か細い声が届いて、私はようやく自分の両手が止まっていることに気が付いた。 縫い物の途中。 苦手で苦手で仕方がないけれど、まさか嫁ぎ先に身一つで送り出すわけにも行かない。 新しい着物の二枚や三枚、用意してやらなければ妹が恥をかいてしまう。 幸いにして、妹を訪ねてくる者達が代金代わりに持ってくるので反物の類には困っていない。 幸いにして。 不幸にして、と言うべきかもしれない。 言霊だのなんだのの力さえなければ、こんな風に妹と別れ別れになることもなかったのだろうから。 「なぁに、未夜?」 「着物……縫ってるんだ」 「あんたのよ。貰った時は嫌いだったけど、今にして見ればなかなか良い布だったみたい」 「私の、お嫁入り支度……なんだよね」 「……そうよ。あんまり良い物は作れないけど、恥ずかしい思いはさせないから安心して」 言って、目を伏せた。手を動かして、話を打ち切った。 今は妹とあまり話をしたくなかった。 いらない憎まれ口を叩いてしまいそうだったから。 姉より、妹の方が―― 「……私」 打ち切ったはずの話が、元に戻った。 振り返らずに針を進めていても分かる。妹は今、座りもしていない。 何を言い出しそうなのかも、手に取るように分かってしまう。 やめて。 だから、あんたとは話したくないのに。 「こんな力、無い方が良かった」 「どうして?」 誰かの助けになれると言ったその口で、どうしてそんなことを言うのか。 「だって、父さんにも姉さんにも、気持ちの悪い思い、させてる」 「寂しいだけよ」 優しくて可愛くて仲が良くていつも一緒にいた、けれど私とは違う特別な子に、置いていかれるから。 「嘘だよ」 「……」 「私、姉さんに気を遣わせてる」 「……」 「こんなことになるなんて思ってなかったの……」 「……未夜」 「私、迷惑かけたくなかった、だけなのに……なんで、 なんでいっつも姉さんに、皆……!」 ……知っていたのか 「酷いよ……好き勝手にそんな酷いこと言うなんてっ……」 この子にも、知られていたのか 「こんな力なんかいらない……欲しくなんてないのに……」 そんなにまで彼らは 「姉さんは私の事、いつも一番に考えてくれてるのに……」 そんなにまで――私は 「何にも知らないくせに、皆、そんな風に、簡単に姉さんのこと、踏み躙って……!」 劣っていると、いうのか。 「――知らないくせに」 知らず。 知らずに。 知らないうちに、声は低く出た。 背後の妹の、堪えきれないという嗚咽が弱くなるのを聞いた。 知らないくせに。 何も知らないくせに。 「何も知らないのは、あんたじゃない」 何も知らないと、思っていたのに。 知らないだろうと思っていたから、ずっと我慢できていたのに。 ひたすら純粋な子だと思っていたから、仕方が無いと、諦めていたのに……! 「姉さ……」 「あんたの陰で私がどれだけ嫌な思いをしてきたかなんてこれっぽっちも知らないくせに偉そうなこと 言うんじゃないよ!!」 縫いかけの。 反物を踏み潰した。 折り重なって波打ったそれを、皺を刻みつけるように踏み躙った。 どうして。 どうして今になってそんなことを言い出すんだ。 ずっと、せめて知らない振りをしてくれさえすれば、私はきっと我慢できたのに。 お前と私は違うんだと、私のいる場所にお前は関係がないんだと、最後まで思わせてくれもしないで。 「そんなにあんたは私を貶めたいのか!! 私を慰めて良い気になりたいのか!! 思い上がるんじゃないよ、 私を惨めな気分にさせてそんなに面白いか!? 楽しいか!? 愉快か!!」 「ち……なんで……ねえ、さ……」 「出来損ないの姉がそんなに嬉しいか!! お前のせいで私がこれまで、どれだけ嫌な……気持ちの悪い思いを し続けてきたか、何一つとして知らないくせに!!」 こんなもの。 文字通り、足元の反物を鷲掴むと、針の刺さったままのそれを妹に投げ付けた。 お似合いだ。 お似合いじゃないか。 自分可愛さに他人を利用したその見返りにと手放されたものを、妹は纏って、この家を出て行くのだ。 良い気味だ。 汚らわしいにも程がある。 穢らわしいにも、限度がある。 節度が、あるべきだ。 いっそ殴りつけてやろうかと、反物に埋もれた妹を床に押し付けて、その顔を、見た。 泣いてはいなかった。 歪んですら、いなかった。 ……こんな時にさえ、そんな風に私を。 綺麗な顔で、水面のように、そうやって私を見ていたのか。 「どうしてよ……っ」 せめて。 お前と私が同じ世界に立っているというのなら。 「せめて私を憎むくらい、してくれたって良いじゃない!!」 なんて愚かなのだろう。 私は――どうしてここまで、醜くなってしまったのだろう。 駆け出す私を呼び止める妹の声が、耳の奥でうそつきと囁いた。 気付けば脚は、自然と花園に向かっていた。 妹との暖かい思い出と、繰り返される悪夢の詰まった、森の中の花園。 暗澹とした心持ちだからか、真夜中の花園の鮮やかさと美しさは不気味にも思えた。 ひょっとしたら私は、誰かに責めて欲しいのかもしれなかった。 縁談を押し付けられて、村人の心の内を悟って、私を気遣って。 そう、気遣うというのなら、妹の方が私を気遣ってくれているじゃないか。 それを私は。 下らない嫉妬で、あの子を叩きのめしたのだ。 だというのに――ちっとも私は、それを、気に病んでいないのだ。 煮えたぎった頭の中にはまだ泥のようなものが渦を巻いて、私は花園に両手を突っ込んだ。 握り潰す。 毟る。 掻き回す。 ――何も、言ってきやしない。 怒りやしない。 それなら。 こんなものは壊れてしまえと、私は美しい花園を破り壊した。 蔑むだけ蔑んで、救いも堕としもしないと言うのなら。 壊れてしまえ。 無くなってしまえ。 見るも無惨に朽ち果てて、腐り果てればいい。 こんなもの。 こんなもの。 こんなもの―― 「壊れてしまえ……っ」 花冠。 押し花。 可愛い妹。 甲斐甲斐しい姉。 嘘。 嘘つき。 「全部壊れてしまえ! 全部全部、壊れてしまえぇ!!」 《わかるよ》 声。 声が、 声が。 うるさい。 何が分かったというんだ。 何もかも、知らないくせに。 偉そうなことを言うな。 分かったことを言うな。 お前なんかに私のことが、分かってたまるか。 《わかるよ。妹が、憎くて、憎くて、しかたがない》 《じぶんをみくだして》 《それでもずっと》 《妹ばかりがよいこでいられる》 《なにをいっても》 《あのこはきれいなまま》 《おなじようにそだっても》 《あのこばかりがきれいなまま》 《憎い》 《憎い》 《憎らしい》 「憎らしい……っ!」 《なんて憎らしいのだろう》 「あの子さえ……いなければ》 《あのこさえ、私の前にいなければ、」 こんなに惨めにはならなかったのに!! あの子さえいなければ、 あの子さえいなければ、 あのこさえいなければ、 あの子さえいなければ、 あの子さえ、 あのこさえ、 あのこさえ、あのこさえ、あのこさえ、あのこさえ!! あのこさえ……いなければ。 あのこが、いるから、こんなめに。 こんなのはいやだ。 こんな自分は嫌だ。 ころしてしまおう? ――そうしよう。 |