男は旅の中 街から 街へ なびかぬ黒髪 はためく外套 肩には 多からぬ荷 胸には 懐かしき郷 男は帰途の中 街から 村へ 街道は分かたれず 進む 進む 両脇に緑 頭上に蒼 男の脚は 地を踏み 地を蹴り やがて 僅かばかり開けた 道の中 唄うが如く 揺らめく声 「お花はいかがですか 甘い甘ぁい匂い 清めのように綺麗なお花 どうぞ おひとついかがですか」 つと 男は見晴るかす 彼方 花売りの少女 ひとり 彷徨う 決して日には触れさせぬと 厚い布の内 双眸 両手に籠 数える気にもさせぬ 可憐な花 花 花 そうして 鈴を転がす声 「お花はいかがですか 甘い甘ぁい匂い 清めのように綺麗なお花 どうぞ おひとついかがですか」 男は顎に手を 忙しない脚は停まる 胸の内には 幼き妹 男の脚は 再び地を踏み 地を蹴り 「花売り そこの花売りの娘」 「旦那様 お花をおひとつ いかがですか」 「貰おう いくらだね」 懐を探る旅の男を 花売りの少女 目で探る 思案に俯き ぽつり 短く 「おいくつ お入用ですか」 「なんだって」 「おいくつお入用ですか 旦那様」 「ああそれでは 全部の花をひとつずつ ところでいくらだね」 「ああ それならば」 籠を掲げた 花売りの少女 男の胸は 芳しき花園 「花売りよ 一体どういうことなのだ」 「差し上げます」 「なんだって」 「差し上げます 今日はもう 要らないのです」 花売らぬ少女は 彼方 遥かへ 花園の男の脚は こうしてしばし 時を停める 我に返った男は 森の中 胸は未だ 花園のまま 瞬きひとつで 街道は 深き森へ 振り返る 森の中 ぐるり 回る 森の中 ぐるり 仰ぐ 森の中 「なんと 一体どういうことなのだ」 花園の男は しかし とっくにひとり 森に飲まれ 声が消える ぐるり 回る 森の中 ぐるり 仰ぐ 森の中 「どうしたものか これでは帰れぬ おお父よ おお妹よ」 嘆くも 時は停まるまま 大きく嘆息 ひとつ 男の時は動き出す しかし 行けども 行けども 森は森 緑 次第に 藍 しかれど しかれど 森は森 「これは 一体どういうことなのだ」 荷から麻布を出し 伝う汗 男は 拭う 拭いながら 男は 呟く 「これは 一体どういうことなのだ」 呟きながら 男は 籠を見下ろす 「よもやあの娘 化生の類ではあるまいな」 提げた花園 変わらず鮮やか 森は静寂 藪は がさとも言わず 枝は ごそとも言わず 森は無人 風の一片すら 通りかかりはせぬ さしもの旅人も 背は既に氷 夕闇が忍び寄ろうと こうも暗ければ窺えぬ 「ああ なんということだ 今日には 郷にいるはずだったのに」 嘆くも 森は停まるまま 大きく嘆息 ふたつ 森の時は動き出す 行けども 行けども 森は森 藍 次第に 紺 しかれど しかれど 森は森 「ああ ああ 疲れた 喉が渇いた」 脚は既に 棒 喉は既に 砂 これ以上は動けぬ 男の膝が 今にも地を舐めようと すると どうか 「おお あれは」 目の際 掠める 涼しき 光 風 ざかざか 藪を掻き分け 男は進む 僅かばかり開けた 森の中 一面の花 花 花 広い 広い 清めのように綺麗な泉 「おお おお」 たまらず 鮮やかな敷布 踏み踏み 泉に触れる さらり さらり すり抜けぬよう 両手を硬く皿にする たちまち 砂は喉 暑は冷 水を飲む 手を 顔を洗う 腰を下ろし 一息 「やあ やあ これは綺麗な花々だ」 赤色 黄色 白色 桃色 青色 橙色 紫色 全ての色を揃え 花はたおやか しかし不思議 見覚えのある 花 花 花 あっと 声を上げた 目の先 傍らの籠 森の花園 まるで違わぬ 籠の花園 「これは一体 どういうことなのだ あの娘 やはり化生であったのか」 ざらざら 震える男 恐怖と屈辱 不意に 爪を掠めた 硬質 恐る恐る 掬い上げ 再び あっと 声を上げた それは 白い花 それは白い 骨 「や や これは なんということか なんということか」 よくよく見れば 足元は 無数の 花園に隠れ 無数の 足骨 胸骨 背骨 腕骨 肋骨 肩甲骨 頭蓋骨 泉を囲む 骨 骨 骨 泉を囲う 花 花 花 「ああ ああ やはりあの娘は 化生であったのだ ああ ああ やはりおれは 惑わされておったのだ」 震える男 その暇 逃げられず 鈴の声 そより 泉 さざなみ 「ああ 旦那様 何処へお行きになるのです」 弾かれ 脚は 地を掻いた 栗鼠よ 兎よ 疾り 走る 行けども 行けども 花園 花園 不思議に 森は現れぬ ただ花園 妖しき花園 どこまでも どこまでも 嘲弄もなく 男と駈けるは 少女の花 「助けてくれえ 誰か 誰か おれを助けてくれえ」 しかれど 森は静寂 しかれど 森は無人 やがて花が 男の脚を 捕らえた もんどり打って 泥に塗れる 中背の体躯 足先に 花売らぬ 少女 既に目を 隠してはおらぬ 「畜生め おれを おれを どうするつもりなのだ」 「骨におなりください 旦那様」 「何を勝手な」 「旦那様 我らには 旦那様が必要なのです 旦那様の血が 旦那様の肉が 旦那様の魂が 我らには どうしても必要なのです」 「我らだと」 「我らです」 「お前は一人ではないか」 「いいえ 旦那様 我らは二人です しかし 沢山ではありません」 「なんだと」 「決して 沢山などではないのです 我らは 二人きりなのです」 花売らぬ 少女 繰り言 旅の男には 露ほども理解が及ばぬ 「何故 必要なのだ」 男は動かぬ脚の代わりに 唇を動かした 「何故おれが 必要なのだ 答えろ 化生め 畜生め」 「化生!」 唐突 荒ぐ鈴 歪む花 怒り狂うは 悪鬼が如く 「我らを化生とお呼びですか 我らを化生とお言いですか 我らは人間です 旦那様!」 「人間だと」 「そうです」 「なれば何ゆえ おれを喰らおうというのだ」 「我らは喰らいません 旦那様 旦那様は 供物ですから」 「供物だと」 「そうです」 「誰への供物だと」 「この花園への 供物です 旦那様の骸も 花園に眠りましょう では旦那様」 「ひいっ」 動けぬ背後 ざわり 目覚めの花園 その様 しなやかに まるで動物 男の首筋へ 「旦那様 我らにお慈悲を」 「助けてくれ 助けてくれ 謝るから 許してくれ」 「いいえ 旦那様 旦那様に 如何なる罪がおありでしょう ですから 許すわけには参りません」 能面の少女 花園に差す光は 変わらぬ紺 ぞわぞわ 花の手 絡みつく さながら 蜘蛛の網 為す統べなく 網の中 もがく男 ただ 哀れな蝶 唐突に ばしん と 「いけません」 ばしん ばしん 乾いた紐の 切れるよう 「わあっ」 刹那に蝶は 網から離れ 勢い余り 鼻を打ち 上がり 下がる 肩 荷物は 籠は とうにない 逃げようと屈む腰 許さぬと 花園は壁へ 怖々 旅人は振り向く 獲物を逃がした蜘蛛の 怒りに 顔は紅 それは 屈辱に非ず 「何をするのです」 少女 咆哮 「いけません」 主なき 鈴の音 切なる応え 「いけません 姉様 その人を殺しては もう人を殺しては」 「殺すのは私ではありません」 「同じことです 姉様 もうおやめください 姉様の心が穢れてしまう」 「心など!」 姉と 呼ばれた少女 狂乱 叫び 「私の心など お前の命に比べれば!」 「いいえ いいえ!」 涙滲む 声 見えぬ少女は 木霊 「其処の方 どうか 其処の方 姉様をお許しください 姉様はただ 私を諦められぬだけなのです」 「どういうことだ」 呼びかけられ 壁に背を這わせ 投げ掛ける 男 「私は この花園に呑まれた娘です 姉様は私を助けるため 引き換えとして 旅の人間を見つけては その命を花園に捧げているのです そして 花園は未だ 私と姉様を放さぬのです どうか どうか 姉様を お許しください この花園から お逃げください 通りすがりの旅の方」 「なんと」 「愚かな妹 余計なことを」 「愚かだと」 「そうです」 姉の顔 今度こそ 屈辱に 紅 「我らを 哀れむおつもりですか 傲慢な」 「傲慢だと」 「そうです」 「いけません 姉様」 「貴方に 何がお解りですか」 姉は叫ぶ 妹は請う 男は動けぬ 花が散る様 雨が降る様 骨の在る様 「貴方に 何がお解りですか 尽きぬ花に囲われて 惑いの香に燻されて どれほどの思いに 我らが在るか お解りですか」 悲痛の色 びりりと空 姉は 花園の中 「お願いします 旅の方 どうか お許しください お逃げください どうか どうか どうか これ以上は 我ら 繰り返したくはないのです」 苦渋の色 ひりりと風 妹は 花園の上 交差 そして 少女はふたり 花園 「死ねばよいのです」 震える 花 花 花 「朽ちればよいのです」 怯える 花 花 花 「我らのために 貴方が死ねばよいのです」 「貴方のために 我らが朽ちればよいのです」 交点は 男 旅人の 男 交差 そして 少女は花園 交差 そして 花園に 少女 花園の 少女 少女は 花園 花園は 花園 ぐらりと 花園 男の 背後 から 姉の 頭上へ 牙 眼球 剥いて 慟哭 猛る うねる 花園 口を開き 『 花弁が擦れる 葉が踊る 声が降る 地を隠す 花園の 声 『 命を乞わんと 少女 震える 花の唇ごと 『 花園は 少女を 喰らった 「ああ ああ ああ」 ほんの一縷の 希望へ 縋る声は 男 辿りし道 眼に描かれ 儚く 祈り やがて 花園 ぞわり 崩れ ぞわり 重ねた絵を ぞわり 剥ぐが如く ぞわり 歪む視界 瞬き ひとつ そこは 森 緑から 藍から 紺 変じた 森 「助けてくれてありがとう」 歪む視界 瞬き ふたつ そこは 転がる鈴の中 ではなく 街道の上 日は まだ高く 花売りは おらぬ 「どういうことだ」 棒の脚 伝う汗 片手の籠 花園 青い旅人 擦れ違う旅人達が 横目で過ぎていく そして 後 故郷の中 父と妹の間 どこか呆けた兄が 旅から戻り 庭へ 小さな花園を 植えたという やがて 時は巡り 街道で 花売りの少女 ひとり 彷徨う 決して日には触れさせぬと 厚い布の内 双眸 両手に籠 数える気にもさせぬ 可憐な花 花 花 そうして 鈴を転がす声 「お花はいかがですか 甘い甘ぁい匂い 清めのように綺麗なお花 どうぞ おひとついかがですか」 やがて 時は巡り 小さな花園は 兄の庭を覆う やがて 時は巡れど 姉妹は未だ 花園の中 時は 静かに 巡り 廻る 2007.12/08 |