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騙し絵のような階段を昇っていた。
上を向いて。横を向いて。後ろを向いて。
階段は螺旋にも真下にも連なっていた。
でも基本的には、重力に逆らって歩いていた。
ある時、一人の子供が道の真ん中に立っていた。丁度、これから進む道を遮るように、 真正面に佇んでいた。


- 頂上 -


そこは珍しく階段ではなく、平坦な上り坂だった。
今までも幾度かそんな場所に差し掛かったことはあった。
そんな時はいつも、その道がどのくらいの長さなのか、通り抜けるのにどのくらい時間が かかったのか、数えようとしても曖昧にしか覚えられない。
今回のはとりわけその症状が酷かったから、突然の変化に驚くよりも興味が勝っていた。
「はじめまして」
何を言って良いかは分からずに、とりあえず当たり障りの無い言葉を発してみた。
その子供――顔は何故か瞬間にさえ覚えていられず、男女の区別さえつかなかった――は 何も応えず、代わりに首を振った。横に。
初対面ではないという意味だろうか。そんなはずはないと思うけど……。
それよりももっと、感情が篭っているような気がした。
――例えば。
何かを欲しいというように。
何かを要らないというように。
諦めているような、仕草。
それは違うよと。仕方ないんだと。
諭すように? 落ち着けるように?
無性に不安になって何かを言いかけた時、その子はスッと腕を水平に上げた。
その動作に気を取られて、何を言おうとしていたのかを忘れてしまった。
言おうとしたことさえ忘れてしまった。
「     」
「え?」
小さな紫色の唇が――寒いのだろうか――紡いだ言葉は聞こえなかった。まるで、声そのものが こちらを避けて通って行ったみたいだと思った。
見ると、その子の腕は坂道の向こうを示していた。
坂になっている所為でその先の景色は見えないが、この青空の下にあるものなのだから、 怖がる必要はないとだろうと思う。
空はいつでも平等に厳しく、均等に優しい。
「そっちに行けってこと?」
子供は頷き、道の端へ一歩下がった。譲ってくれたのだ。
当然といえば当然の親切だが、なんだかとても嬉しくて、その側を通り過ぎるときはありがとうを 言おうと思った。
一歩。二歩。
その子は近付く。
否、こっちが近付いているんだ。
その前に行き、見下ろすと、その子は。
泣いていた。
静かに。別離に哀しんで。
――別離? 何との?
「大丈夫?」
どうしたの、とは言わなかった。知られたくないことのひとつやふたつ、あるだろう。
その子は、何かに躊躇う様子を見せたが、すぐに頷いた。
それに安堵して、予定通りお礼を言った。
今度は何の反応もなかった。
……まぁ、仕方ない。
三歩。四歩。
進んで、振り返った。なんとなく気になったのだ。
まだ泣いているようなら、落ち着くまで一緒にいようか――
「――あれ……?」
が。
その子はもういなかった。
窓を開けた瞬間に消える、真冬の陽炎のように、もう影も形も見えなかった。
夢でも見ていたのだろうか……?
不思議に思いながら、そうしていても時間が勿体ないので、元の方向に顔を向けた。
この坂を昇り続けてきたのだ、どんな景色が待っているのか気になっていたのだ。

視界が全て、眼下にあった。

四角い街並みに走る建物。
縦横無尽に画一的に、もくもくと舞い上がる音。
そこにはおもちゃも怪獣もなかった。
……何時の間に昇り切っていたんだろう。
(でも、昇ったんだ)
疑問も不審も、湧き上がってきた笑みの中へマーブルに溶け込んでいった。
途方もなく嬉しかった。
そして、もう一度振り返る――もうその時には、あの寡黙な子供のことは忘れていた――。
この坂道を、滅茶苦茶な構造の階段を上がってきたんだと、感慨に耽りたかったのかも しれない。
とにかく、頂上からその困難を見下ろそうと振り返る。
私の背後には、分厚そうなコンクリートの壁があった。
「……坂……は?」
昇ってきた、道は。
慌ててあちこちを見回すが、四方のうち三方はコンクリートで囲まれていた。未知への恐れが 頭をもたげはじめた時、足元に何かがこつんと当たった。
石でもぶつかったのかと苛立ちながらも、それに目を凝らす。
ミニチュアだった。
手の平の上に載りそうな、滅茶苦茶なまでにこねくりまわされた、騙し絵のような小さなオブジェ。
今までひたすら辿ってきた道のりと、その形は、良く似ていた。
「何……!?」
コンクリートで舗装された小奇麗な道に膝をつき、拾い上げた。
どんなに穴が開くほど見つめても、切手シールやままごとセットは見つけられなかった。
唐突に脳裏に浮かぶ、あの子供の姿。

きっと。
あの子を通り過ぎたあの時にはもう、このオブジェを昇りきっていた。

これはここに置いていくべきものだと、コンクリートの上にそっと置いた。
次に昇ってくる人が困るとか、最初からここにあったんだからとか、そんな風に自分を納得させた。
ことんという音は、キツツキが木を叩くように響いた。
そうして四角い街と向き合い、私は歩き出した。
汚れた膝を少し叩いて、髪の癖を撫で付けて、背筋を伸ばして、私は歩き出した。

吹いてもいない風に乗った、連れていってと泣く子供の声に、空耳だけを傾けた。