- ある石の家の話 -


かつーん    かつーん    かつーん    かつーん

    からーん    からーん    からーん    からーん

大きな森にこだまする、小さな音がありました。
「おやおや、いったい何かしら。石がこぼれていくような音がするね」
白いかばんをしょった旅人が、大きな森に通りかかりました。切り株を見つけ、さて休もうと思ったところで、風にまぎれた小さな音を拾ったのです。
旅人はたいそうな知りたがりだったので、取り出しかけたサンドイッチをかばんにしまうと、よいさと腰を上げて、音のする方へ歩き出しました。
ぽくぽくぽくと若葉を踏み踏み、旅人は森の奥へと向かいます。途中に出会った毛虫や狼を、避けたり撒いたりしながら、かばんをゆらして進みます。

かつーん    かつーん    かつーん    かつーん

    からーん    からーん    からーん    からーん

音は少しずつ近くなっていきます。
それと一緒に、まわりの景色から緑が少なくなっていきました。踏んで固めて歩いた柔らかい草々も、いつの間にか石ころに取って代わられています。うっそうとしていた木の群れの隙間にも、ごつごつとした土と岩の壁がよく見えました。
「おやおや、森を抜けてしまうようだ。いったいこんな森のはずれで、誰が何をしているんだろう」
旅人は首を傾げます。柔らかい土も川も近くにあるわけでなし、何をするにも不便そうな場所です。
ところでここはどこかしらと、旅人がきょろきょろあたりを見回したときでした。

かつーん

    からーん

        こちーん

「おや?」
旅人の頭に、何かがぶつかりました。
地面に落ちたそれを拾い上げると、小さくて硬い石でした。
「空から石が降ってくるなんて、不思議なこともあるものだ。それとも誰かが遊んでいるのかな」
旅人がもっと深くに首を傾げていると、もうひとつ、またひとつと、次々と石が降ってきました。弾けとんでくる石に旅人が驚いていると、ぉおーいと、どこかから誰かの声まで降ってきました。
「ぉおーい、そこに誰かいるのかい」
旅人が顔を上げると、大きなのみをもった大工が、岩の壁の上に乗っているのが見えました。
「ああ、いるとも。お前さん、いったい何をしているんだい」
「家を作っているのさ」
大工は自慢げに、のみの柄でこつこつこつと足元の岩を叩きました。なるほど言われてみれば、ただの壁だと思っていた岩は、そこかしこが削られて家の形になっています。
「俺はここいらに長く住んでいるのだが、今の家は雨漏りがひどくてね。何度直してもすぐ雨が伝うものだから、絶対に雨の入らない岩の家を作ることにしたんだ」
「それはすごい。だけど、とても大変なんだろうね」
「なに、物を彫るのは俺の楽しみなのさ。この屋根を見るがいいよ、自分で言うのも照れくさいが、なかなかの出来栄えだと思わないかい」
「僕はあまり詳しくないのだけど、なるほど頑丈そうだね。それに、よく煙が通りそうだ」
「はっはっはっ、そうかそうか」
平らで真っ直ぐに削られた岩の煙突に腕を回して、大工はからから笑いました。それから、大工につられて笑う旅人を身を乗り出して覗きました。
「お前さんの住まいはいったいどこだね。見かけない顔だし、何やら珍しい格好をしているが」
「ああ、僕は旅人なんだ。この森に偶然立ち寄ったらきれいな音が聞こえたので、何の音かと探しに来たんだよ」
「ははぁ、知りたがりめ。それで旅人というわけだな。どうだい、俺はこれから昼飯をと思っていたのだが、お前さん一緒に食わないか」
「ああ、それはまた願ってもない。僕もすっかりお腹が空いていたところだ」
旅人は愛想よく笑って、かばんを探りサンドイッチの包みを掴み上げました。
大工もニコニコ頷いて、造りかけの家からするすると降りてきたので、二人はちょうど良い大きさの岩に腰掛けて、お互いの包みを広げて食べ始めました。
大工は、全部彫り終わったら若葉の緑を搾って家を塗るのだとか、屋根には渋めの色を特別に作るのだとか、時折腕をいっぱいに広げながら得意げに話しました。旅人もなるほどなるほどと頷いては、楽しそうに笑うのでした。
そうしているうちにお腹も膨れたので、旅人はさてとと立ち上がりました。
「おや、もう行くのかい。残念だなぁ」
「楽しいお話をありがとう。今度は、あなたの家が完成した頃合いを計って遊びに来るよ」
「そいつはますます手抜きができないな。楽しみにしているといい、お前さんをもてなせるようにしっかり準備しておくから」
大工は足元に置いていたのみを拾い上げて、また岩の上へと上っていきました。

かつーん    かつーん    かつーん    かつーん

    からーん    からーん    からーん    からーん

旅人も、再び鳴り出した元気な音に耳を傾けながら、森の外へと歩いて行きました。





旅人が森に立ち寄ってからしばらくたった、ある日のことでした。
朝からとても暑くて、雨がざんざか降った夕べが嘘のような陽気です。
雨漏りのせいですっかり酷い目にあった大工は、のみとバケツを持って逃げるようにして家を出ました。
「ちくしょうめ、あのオンボロときたら。早いところ新しい家を作って、あんな家とはおさらばしなきゃ。風邪でも引いたらたまったもんじゃない」
一仕事を始める前にと、おこげをぱらぱら撒きながら愚痴を呟く大工の耳には、じりり、じりりという虫の唸りが通り抜けていきます。その合間を縫うように、引っかくような声で、誰かの言葉が聞こえてきました。
「おやぁ、見ておいでよ。こんなところに大きな岩がある。しかもやたらと奇妙な形をしているよ」
「違う違う、もっとよぅく見てごらんよ。あの岩の天辺には凸凹がある。きっと誰かが岩を削って、何かを作っているに違いないよ」
どうやら、大工の作っている家に気が付いた誰かさんのようでした。
大工の家はもうすっかり形を削り終わっていて、少しずつ緑を塗り始めているところでした。屋根や煙突は何度も何度も色を重ねて、何の文句もない出来栄えになっていましたので、大工は姿を見せたいのをこらえて、誰かさん達の言葉の続きをわくわくと待っていました。
けれど、誰かさん達の声は何やら渋いものでした。
「はあ、ここまで作るのにどれだけかかったのだろうねぇ。岩なんかじゃ冷たいだろうし、木を組み立てた方がずっと早いのじゃないかい」
「いやいや、これは木の家なんかよりずっとずっと頑丈だよ。ちょっとの風じゃぁびくともしないだろうさ。ただねぇ、この煙突はちょっといただけないねぇ」
「そうだねぇ、殺風景というのも余りあるというものさね。どうせなら、もっとキラキラした飾りがあった方が映えるというのに。それにこんな薄暗い色に塗ってしまって、貧乏臭いったらありゃしない」
「まったくまったく。さぁて、こんなつまらないものに時間を食うのでは勿体ない」
「それもそうだ。ではそろそろ行くとしようかね」
誰かさん達は仲良さそうに言い合うと、大工の家に振り向きもせず、さっさとどこかへ行ってしまいました。
取り残された大工は、真っ赤な顔でぶるぶると手を震わせていました。
「ああ、ああ、なんという奴らだ。俺がこんなにも苦労して作った家だというのに、好き勝手馬鹿にしやがって。ちくしょうめ、ちくしょうめ」
足元のバケツを勢いそのままに蹴り飛ばし踏み潰し、窓の木枠をもぎ取り殴り、大工はわんわん吼えました。
やがて大工はのみを片手に、作りかけの家を憎らしく睨み付けるのでした。
「もう二度と文句など付けさせるものか。口を開く気も起きないほどに、素晴らしい家にしてやるとも」

がこーん    がりーん    がこーん    がりーん

    がらーん    ごろーん    がらーん    ごろーん

えいやとばかりに屋根へかじりつき、大工は一心不乱にのみを動かし始めました。じりり、じりりという虫がの声がいつからか鳴かなくなったことも知らずに、大工ののみは壁という壁を削っていくのでした。





更にしばらくたったある日、ぱさりぱさりと落ち葉を鳴らして森に踏み入る旅人の姿がありました。大工へのお土産にと果物をたくさん持って、鼻歌交じりの上機嫌です。
「さてさて、あの大工さんはどうしているだろう。きっと素敵なお家を作り上げて、楽しく暮らしているに違いない」
旅人の瞼の裏には、深い緑に塗られて暖かそうな岩の家と、その中でぬくぬく暮らす大工の笑い顔がありました。
あの頑丈そうな煙突はどうなっているかしら。頼めば一度くらいは中をくぐらせてくれるかしら。
期待に胸を弾ませながら、旅人はいつかの道を辿ります。小さな音は聞こえなくても、旅人はすっかり場所を覚えていたので、足取りはとても軽やかでした。
やがて落ち葉より石ころの方が多く見え始め、さてそろそろかと旅人が改めて辺りを見回しましたが、そこにあったのは、優しい緑をした岩の家はありませんでした。二本の大きな木の門と、その奥にある、赤と黄色に塗りつぶされて光る石で飾られた、とても冷たそうな小さい岩のお城が座ってたのです。あの大きくて真っ直ぐな煙突は、どこに隠れているのか、まったく見えません。
「これはどうしたことだろう。前に見たときとはずいぶん形も違う。ああ、ああ、あの煙突は一体どこへ行ったのかしら。大工さんはどうしてしまったんだろう、どこにいるんだろう。まさか私が道を間違えてしまったのかしら」
「おや、いつかの旅人さんじゃないか」
びっくりするやら悲しいやらでぼうと立ち尽くしていた旅人に、お城の中からひょっこりと顔を見せたのは大工でした。指にいくつか傷をこしらえた大工は、旅人にはどことなくやつれて見えました。
大工は旅人に言いました。
「どうだい、この家は。お前さんが以前見たのより、ずいぶんと立派になっただろう」
「大工さん、大工さん、あのお家は一体どうしたんだい。若葉の緑で家を塗って、屋根にはもっと渋くて素敵な色を使うと言っていたのに、あの色はどうしたことなんだい。それに形もずいぶんと変わってしまった。前のお家はどうしたのかい」
「ふん、あんなもの」
息をつく間も惜しむ旅人の言葉に、大工は憎らしそうに眉を寄せてしまいました。ますます混乱する旅人の困り顔にも、大工は知らん顔です。
「大工さん、大工さん、本当にどうしてしまったんだい。あの煙突はどうしてしまったの。ひょっとして誰かが壊してしまったの。お願いだから、せめてわけを話してくれないかい」
「あまりにも殺風景でつまらない形なもんだから、岩を掘り直しただけさ」
「そんな、そんな。だって私たち、あの煙突が気に入りだったじゃないか。大工さんだってあんなにいい出来だと言っていたじゃないか。どうしてそんなことを言ってしまうの」
「ええい、うるさいうるさい。あれは間違いだったのだ。俺がどんなにいいと思ったところで、あんな岩を削っただけのしろものでは馬鹿にされるばかりだ」
かっと口走ってから、大工ははっと口を押さえましたが、出てしまったものは取り消せません。せっかく作ったお家に悪口を言われたことを知られた大工は、ばつが悪そうに目をそらして、旅人が黙りこくったのをひしひし感じるしかないのでした。
枯れ葉が一枚、二枚と、ぱらり、ぱらり、落ちていきます。
三枚目の枯れ葉が石ころの地面に落ちたとき、ようやく口を開いた旅人の目から、ころりと涙がこぼれました。
今度は大工がぎょっとしてしまいました。旅人の涙を拭いてあげようにも、大工のポケットにはのみの一本しか入っていません。どうしたものだと慌てに慌て、大工は旅人へおろおろと声をかけました。
「旅人、旅人、一体どうした。そんなにあの家に招かれたかったのか」
「違うよ、違うよ。そんなことではないんだよ」
ころころ涙をこぼしながら、旅人は大工の言葉をさえぎるようにして、わんわんと叫んで言いました。
「私はずっと見たかったんだ。大工さんが、自分で一番好きな色の、自分で一番好きな形の、そんなお家に住んで、楽しく暮らしているのを見たかったんだ。それなのに、それなのに、大工さんはさっきから、まったく楽しそうじゃないんだ。あの小さなかわいい家が気に入らないと言うのに、また新しいお家に作り直したというのに、どうしてどうして、こんなに悲しそうだ」
溢れるような旅人の泣き声に、大工はぱっと顔色を変えました。
誰かさんたちの悪口を聞いたときから、大工はずぅっと胸がムカムカしていました。せっかく旅人が訪ねてきてくれた今も、まったく楽しくありません。
ああ、一体どうしたことだろう。俺はこの旅人が来るのを今日か明日かと待ちながら、ますます楽しく家を作っていたのではなかったか。どうして俺はこんなに喜ばないのだろう。どうしてこの旅人は泣き止んでくれないのだろう。どうしたら泣き止んでくれるだろう。
ころころ、ころころ、枯れ葉よりも早く涙を落とす旅人を見詰めて、大工は一生懸命考えました。
数える人のいない枯れ葉が、はらり、はらりと落ちていきます。
やがて、大工は片手を握り開き、握り開き、兎のような目をした旅人の頭にぽこんと乗せました。
旅人はころころ泣きながら、ぱちくりと瞬いて大工を見上げました。ほんのちょっと高いところにあった黒い両目は、ゆらゆらと揺れていましたが、ついさっきまでのように悲しそうではありません。
「あー、その、なんだ、旅人よ」
ぷいとそっぽを向いて、大工はぼそぼそと決まり悪そうに言いました。
「やはり俺は、前に作った家の方がいいようだ。というのも、なんだか目が痛くなったからであって、だから、そのう、旅人よ」
「なんだい」
「家の壁を塗り直すのを手伝ってはくれないか」
ひとつ、ふたつと瞬いてから、旅人はにっこりと笑いました。
夏をまたいで始めて見る旅人の笑い顔に、大工はとても愉快な気持ちになったのでした。




2008.12/23